札幌高等裁判所 昭和24年(新を)212号 判決 1950年1月31日
被告人
木村運一こと
吉田廣
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役一年に処する。
但し、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
弁護人岩沢惣一の控訴趣意第一点(1)について。
刑事訴訟法第二百九十一條及び第二百九十二條によると檢察官の起訴状の朗読があつてから被告人及び弁護人に被告事件について陳述する機会を與えた後、証拠調を行うことになつているが一方同法第三百十一條によると被告人が任意に供述をする場合には、裁判長は何時でも必要とする事項につき被告人の供述を求めることができるのであるから被告人が任意に供述する限り証拠調の前であつても裁判長は必要とする事項について被告人に質問をすることができる。しかして原審第一回公判調書によると裁判官は所論のとおり証拠調の前に被告人に対し質問をしたこと明らかであつて、本件において証拠調の前にかかる質問をすることは必要なく、妥当を欠くの憾はあるが、これを以て所論のように訴訟手続の違反があるということはできない。
(弁護人岩沢惣一の控訴趣意第一点。)
(1)原審第一回公判調書を見ると、檢察官の起訴状朗読に続く被告人及弁護人の起訴状に対する陳述があつた後、裁判官が突如として被告人に対し、
問「本件の衣類は被害者が風呂には入つている間に盜んだのか」と問を発し、
答「はい、そうです風呂には入つている間に私の上衣の下に着たところを見つかつたのです」との答を得て犯罪の内容を聽いて予断を抱いて了つた。それから次に、証拠調に入ると告げて証拠調の段階に入つたのであるが。斯の裁判官の尋問は起訴状一本主義に反するもので間違つてゐると思ふ。法第三百十一條には「被告人が任意に供述をする場合には、裁判長は何時でも必要とする事項につき被告人の供述を求めることができる」とあるが、これは証拠調の段階に入つてからのことを言つてゐるのであつて、それ以前に尋問ができるという趣旨のものではない。此のことは國会で政府委員が「今後の公判手続に於ては、檢事の起訴状の朗読、これに対する被告人側の陳述があつた後、原則としては直ちに証人尋問に入つてゆく。その証人尋問が行われる中間において、臨時裁判長が被告人に対して必要な事項の供述を求めるということに変つて参ると考へております」と説明してゐることでも明瞭であると思ふ。又瀧川幸辰、海野晋吉氏等は被告人に対して供述を求めるのは凡ての証拠調が終つた後に爲さるべきものであると説き、其の理由として(1)それが実際の英米法制の慣習であること。(2)第三〇一條において、被告人の自白は証拠調が終つてから調べることを規定してゐること。(3)第三一一條が特に証拠調に関する最後の場所に位していること、等を挙げてゐる。斯様な訳で被告人に対して供述を求めることは証拠調に入らない前にはできないのである。然るに原判決は証拠調に入らない前に被告人を尋問して犯罪の内容を聽いて了つたのであるから、そこに手続違背がある訳である。
(註、本件は量刑不当にて破棄自判)